ゴミ屋敷と孤独と
今朝、テレ朝のモーニングショーでゴミ屋敷の特集をやっていました。
モーニングバードのままだと思って調べたのは秘密
↑が今朝の段階での番組HPのスクショですね。
今日はゴミ屋敷の特集をやっていたんですが、問題の本質から逸れたコメントが多いように感じました。
当然、周りの住民に迷惑、危険という問題もあります。
一刻も早く解決すべきことではあります。
そのため業者に依頼しない家主の怠惰さ、あるいはケチさなのか、そこを糾弾する声もあるのかもしれません。
やれ精神疾患だなんだという声もありそうです。
でも、その問題を招いている原因の本質とはなんなのか。
そこを見いだすためには、家主の心理に寄り添う必要があるように思います。
…とは言え、流し見だったために事実とはズレがあるかもしれません。逃げるな
まず、この家主には片付けたい、という意志はあると思います。例え少しだとしても。
それを邪魔するものは何か?
それは
孤独
だと思います。
昨今、孤独死が社会問題として挙げられる時代。
この方はおそらくひとりで暮らしていらっしゃるのでしょう。
そういった将来への不安はあるはずです。
最初は単に片付け下手なところから始まったのだと思います。
ですが、この状態を改善しないままでいれば、衆目を集めたままでいられる。
そこに気づいてしまった。
それならば、片付けをしないままなら、社会との繋がりを保てるのではないか。
そう思い至ってしまった、悪く言えば構ってちゃんな部分があるわけです。
もちろん、身内が他にいらっしゃった時はその方が片付けていて、それに甘えてしまった結果でもあると思います。
片付けが苦手な病の可能性だってあります。
ですが、そう指摘することが、問題の解決に繋がるのでしょうか?
広く捉えれば、このことはゴミ屋敷問題という枠を越え、孤独死といった社会問題に繋がると思います。
拡大解釈に見えるかもしれませんが。
この問題を解決するためには、行政の力添え、または近隣の方の手助けが必要に思います。
それは片付け、ということもそうですが、人と人との繋がりという意味でも。
片付けが大変な広い家をもて余すなら、家主の納得の行くやり方で手放してもらう。
それが許されるなら、それも1つの手です。
いずれにせよ、家主の方はそういった気力をなくし、どうしても奮い立たせられない。
だから、誰かが手を差し伸べる。
そのことが必要に感じます。
こう思ったのは、僕の実体験に依るものです。
僕の親友のひとりも、天涯孤独になってしまい、広い家にひとりで暮らしています。
元々は地主の家系であり、手放すわけにもいかない。
やはり彼も片付けが苦手で、1度片付けの手伝いをしたことがあります。
ただ、あまりに当人のやる気のなさに僕がキレてしまい、それから数年放置。
その結果、とんでもなく汚くなってしまいました。
今年に入り、彼が変わろうとする姿勢を見せました。(片付けのことでなく)
でも、そのためには片付けが必要かもしれない。
僕はそう思い、手伝いを申し出たところ、彼もやる気はずっとあったということがわかったのです。
それから、片付けはまだ続いています。
すぐには解決しきれないとは思いますが、ゴミを溜めないシステム作りをしつつ、ある程度の形にはしたいところです。
このように、誰かが力になることに意味がある。
その証明を、自分が完了させなければ。そう思います。